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薬害ヤコブ病事件

薬害ヤコブ病事件について考えます。
まずはヤコブ病についてですが、正式には、クロイツフェルト・ヤコブ病と呼ばれています。
症状としては、突然歩けなくなる、話せなくなる、思考できなくなるという無言無動状態になることです。
ついには命を失ってしまうという怖い疾患なのです。

急速に進行する認知症から、多くはアルツハイマー病が疑われるのですが、発症後の余命は1年あるいは2年という短期であり、症状から後にヤコブ病と判明するのは容易となっています。
しかし、発症までに疾患を発見することができず、たとえ発見できたとしても根治治療は確立されていません。

発症後、すでに脳の萎縮が見られることから、そこからの回復はすでに不可能の状態です。
発症率は100万人に一人とされています。
患者の多くは50歳以降の人が多く若年者での疾患の報告は稀です。

事件の経緯

1970年代、1980年代にドイツのビー・ブラウン社製造で、脳外科の手術で広く使用されていたヒト死体硬膜製品がヤコブ病の病原体に汚染されていたために、その移植を受けた人が長期の潜伏期間を経てヤコブ病を発症した事件です。
発症するのと同時に無言無道状態となり、余命は1年から2年で必ず死に至る疾患なのです。

1996年11月に大津訴訟が、1997年9月には東京での訴訟が始まり、4年の審理を経て、2001年7月に両訴訟は結審し、裁判所より和解勧告が出ました。

使用停止まで

1968年に、ヒト死体硬膜製品が発売されて、1998年に製造が中止されるまでに約30年間に渡って製造がつづけられてきました。
もっとも全ての期間にわたって問題があった製剤ではありませんが。初期に作られた製剤に問題があったことは明白です。

イギリスやノルウェーでは1990年初等に製剤の登録を末梢しています。
他の国々も追随する中で、日本の対応は後手に回りました。
これは厚生省が当時、ヒト死体硬膜製品であるライオデュラを医薬品ではなく医療用具として認可したことも要因とされています。

世界中で症例が発表され、日本でも罹患者が出ている中で、何も対応をしなかった状況に問題を提起したのが狂牛病問題だったのです。
世界に対応の遅れを露呈したのは、その際に把握した症例が43症例あったこと、世界全体での症例が50症例であったことがあげられるのです。

訴訟問題

当初は、国と輸入業者を相手取った訴訟となっていがのですが、製造元のビー・ブラウン社を交渉の席に乗せることで、和解金の多くを負担させる事に成功したということです。
しかし、ある意味多額の負担金がなければ和解も成立されなかったのではという意見は今でも根強く残っているのです。

今後の問題

現在国内でヤコブ病の患者を把握しているのは約100人となっています。
このことが罹患確率が100万人に一人という根拠になっているのですが、潜伏期間が10年と長く、50年という潜伏期間のあった症例も報告されています。
そのため、今後も疾患者の数は増加すると予想されているのです。