スティーブンス・ジョンソン

粘膜や皮膚の過敏症であり、死亡例もあるのがスティーブンス・ジョンソン症候群です。
薬剤の副作用等によっても起きるのですが、初期症状は風邪に似ている部分もあります。

初期症状が似ている

進行すると水疱やびらんが現れるようになりますし、皮膚や粘膜だけではなく、失明する危険性もあるのですが、スティーブンス・ジョンソン症候群の患者に対しての診療で医療訴訟も行われたのです。
昭和61年、当時18歳の男性が「心因性のもうろう状態」となり、病院で薬剤を投与されたのが1月。
その後3月より顔面に発赤、手足には発疹が生じるようになるなど、し、さらには体全体にまで波及する事になってしまったのです。

病院側はテグレトールの棟よのみは中止したものの、その他の薬剤はそのまま投与していたのですが、皮膚症状は改善することはなく、3月末には男性患者が大声を上げるような事にまでなりました。
その際、フェノバールを増量したりするなど病院側も様々な治療を施したものの、発熱やチアノーゼ、さらにはおかんに浮腫状の落屑も認められるなど大変な事になりました。
その後、4月15日に違う医師が診察して「薬疹」と判断。
それによってすべての担当していた医師は薬剤の投入を中止しました。
抗生物質等は投与したものの、結局は高熱が続き、失明する事になってしまったのです。

そして裁判へ

これによって裁判となったのですが、最高裁の判決として失明させた責任は医師にあるとしました。
スティーブンス・ジョンソン症候群は初期症状が風邪に似ているとお話しましたが、医師もまさかスティーブンス・ジョンソン症候群だと判断してはいなかったのでしょう。
そのため、薬を投入するばかりだったのですが、最高裁も常に最新情報を収集する義務があると判断。

これは常に最新の医療を求めているのではなく、日々の研鑽によって獲得可能な水準を満たしておくべきだとの考えなのでしょう。
結局は患者側の勝利ではあったものの失明は戻りません。

医療は医師と患者の信頼感はもちろんですが、やはり医師の力量によって決まる部分も大きいです。
医師がどれだけの責任感を持って患者と接するのかを改めて問う事になった裁判ではあるのですが、現実的に医師とて一人の患者に多くの時間を割くのも難しいですから、何か違和感を覚えた患者には親身になって、他の患者以上にリソースを割く事が求められるようになりました。

医師の責任感を問うという点において画期的な裁判であったと共に、日本では当時まだまだそこまで高い知名度ではなかったスティーブンス・ジョンソン症候群の事が報道されるようになり、医療ではただ闇雲に薬を投与すれば良いものではないのではないかとの風潮を生み出すきっかけになったと言っても過言ではない裁判です。