薬害エイズ事件

薬害エイズ事件は、血液製剤により血液製剤により、血友病の患者がHIVに感染した事件です。以下にこの事件の経緯を説明します。

1982年当時、米国ではすでにエイズ原因ウィルスが疑われ、血液製剤による感染の危険債が指摘されていました。
1983年の4月以降、マスコミでも盛んにエイズ報道が始まった時期です。
この時期は新聞などのマスコミの報道を見て、それまで血友病患者の直感として、輸入製剤の危険性を強く感じてきた血友病患者は、情報の収集をはじめ、安全の確認が取れている国産の製剤を使用するようにという要望書を厚生省へと提出しました。

いっぽう、当時の血友病の治療の最前線である医療の現場はどうだったのでしょうか。
医師や製薬会社はどのように患者に説明したのかというと、判で押したような言葉で、血友病患者に言い含めるように「安全だ」の一点張りだったのです。

結果としてどうなったのか

問題視され、2年が立った1985年、輸入製材で感染した国内の血友病患者に関する初の報道があっても、危険な輸入製剤が使用され続けたのです。
1985年7月に厚生省より安全な加熱製剤が認可されましたが、それまでに出回っていた危険な非加熱製剤は回収すらされず、在庫がはけるまでという表現がぴったりくるくらい使用され続けたのです。

結果として、国内の血友病患者の半数である約2千名がHIV感染したのです。
ここにきてやっと、薬害エイズ事件が白日のものとなったのです。

薬害エイズ事件の問題点

1980年当時、日本国内においての血液は文字通りエイズフリーであり、国内の血友病患者は米国由来の非加熱製剤をしようされていました。
早くから危険視されていたにも関わらず回収すらされず、中には2次感染という被害拡大を招いたのです。

国内の安全な加熱製剤の使用が後回しにされた思いが払拭されて無く、医療機関も非加熱製剤の使用に最後まで固執していた形跡のあることが問題点として上げられています。
さらに、被害がはっきりした1985年以降でも告知せずという方針で被害事実が患者に隠され続けたという問題もあります。

裁判の経緯

国との民事訴訟は1996年に和解が成立しています。
これは非加熱製剤を承認した、厚生省と製薬会社ですが、一部の製薬会社も無関係ではなかったものの提訴されなかったことで物議を醸しました。
刑事訴訟については製薬会社3被告に実刑判決がでましたが、中心人物である医師は公判中に認知症を患い不起訴となりました。

諸外国でも似たような事例はたくさんあり、中でもフランスでは日本と同様に刑事告訴までする事態となり、その影響は日本以上に広範囲にわたって広まっていきました。
感染者数も日本の倍となっていたのです。
フランスと日本以外で薬害エイズ事件は刑事事件に発展することはありませんでした。